浪費家のミニマリスト“バムズライフ”が自転車に乗ることが好きな大人たちに向けて「自転車乗りのカルチャー」を考えるブログ(プロローグ)

雨の日も風の日も、もちろん晴れの日も、毎日自転車に乗っている素敵なあなたへ。スケーターとかバイカーは、カルチャーが確立されてるけど、サイクリスト(つまりロードバイクに乗っているような長距離&スピード狂ではなく、街で足に使っている自転車乗り)のカルチャーについて考えるときに僕の考えること

自分の才能に目覚めることから始める

人生を藻掻き、苦しみから解放されるには、死なずとも、気を違わずとも、宗教に入らずとも、人生の苦しみと向き合う方法がある。

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ジョジョの奇妙な冒険PART4 ダイヤモンドは砕けない集英社 荒木飛呂彦 著)
自分の中心を定めるということ

 どんな世界(社会)であれ、やるべきことは只ひとつ。ユーザー(人)を楽しませることができるかどうか。そのためには自分の才能に目覚め、人を楽しませるための武器がなんなのか知っておかなければならない。そうしなければ、藻掻き苦しみ、私の前途は三つのものしかなくなる。

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない。」「ただし宗教には這入れそうもない。死ぬのも未練に食い留められそうだ。なればまあ気違いだな。ただし未来の僕はさて置いて、現在の僕は君正気なんだろうかな。もう既にどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くて堪らない」(行人 新潮社 夏目漱石著)

 

 

モノを持つ事の重要性を拒否する

広告は俺たちに車や服を買わせようとする。必要のないクソみたいなものを買うために嫌な仕事を続けているー中略ーいつかは億万長者、映画スター、ロックスターに慣れると信じてきたが、だがクソだ、俺たちはその事実を少しづつ学んでいる(ファイトクラブ

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映画「ファイトクラブ」より
浪費はするが、消費はしない

モノにはブランド名ではなく機能性が重要なのである。この瞬間「どのような体験がしたいか」という欲求の中で様々なモノを買うが、企業のコマーシャルにはまったく興味がない。所有するつもりがないのは身動きが取れなくなるからだ。家を失くした事のある私からすれば、それがどれだけ負担になっているか知っている。仕事内容も預金残高も、持ってる車も財布の中身もファッションも、そんなもので人間の中身は決まらない。映画「ファイトクラブ」は1999年に公開し、古い表現をすれば”テープが擦り切れるまで”観た映画である。「ファイトクラブ」はミニマリストという言葉こそ もっとも嫌うだろうが、ずばりミニマリズムの権化である。

体験する芽を、自ら摘む必要はまったくない

欲しいものがあるならば、今あるものを売っぱらってでも手に入れるべきである。自分が明日も生きている保証はどこにもない。我慢する必要はない。その瞬間、欲しいと思ったのなら、手に入れるべきである。

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ジョジョの奇妙な冒険PART4 ダイヤモンドは砕けない集英社 荒木飛呂彦 著)
欲求は、体験への最短距離である

私が大金持ちであるならば、金に糸目をつけず、体験のために欲求をぶつけてしまえるのだが、そういうわけにはいかない。限度がある。限度があるならどうするか?今あるものを売っ払うか、借金をするしかない。馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、欲求には素直に従うべきだと私は思っている。全ての行為は体験である。新しい服を体験したいのである。新しい鞄を体験したいのである。新しい自転車を体験したいのである。体験できない事の方が私にとっては恐ろしい。しかし、当然買った値段で売れるわけがない。大抵は買値の20%になれば良いほうだ。それでも次から次に体験したい題材が押し寄せてくるのだ。Aを買って体験したら、つぎはBを体験したくなる。しかし金がない。だからAを売って、Bを買う足しにする。だからこそ私は浪費家のミニマリストなのだ。

自分の見た事や体験を描いてこそ面白い文章が書ける

ルポライターの鉄則。おのれの眼で見、耳で確かめて書く行為を省略した文章など信用できない(ルポライター事始 筑摩書房 竹中労著)

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ジョジョの奇妙な冒険PART4 ダイヤモンドは砕けない集英社 荒木飛呂彦 著)
体験は多くのことを発見させてくれる

ライティングに関して影響を受けた人物が 2人 いる。まず一人目は竹中労。二人目は岸辺露伴。前者は技法を、後者からは概念を学んだ。「ルポルタージュとは記録の文体である。」とは竹中労の言葉だが、記録というのは、心の中に沸き起こる強い欲求があり、衝動があってこそ書けるのである。全ての人間は生まれながらにして知りたがる傾向がある。一つの事柄に対して、自分の意見だけではなく、他者の意見を知りたがるのは、自分の意見と他人の意見を同じテーブルに並べて、おのれの個性を見出すためである。その行為は優劣をつけるという訳ではなく単純に意見を聞きたいだけ。意見が違えば「こんな見方があるのか」と思い、同じであれば「やはりそうか」と思う。私はその行為こそ、もっとも人間らしく自分を発見するための行為だと思う。

最大にして最強の魅力は、荷物の容量が変化する遊び心である

最大の魅力はメタモルフォーゼにある。29Lの容量からサイドジップを下ろし、65Lの容量に姿を変えた時の形状があまりにも美しい。しかしその美しさは、容量を十分にバッグインした時に発揮される。つまり買い出し(私の場合はスーパー)の多さにこそ生きる道がある

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https://www.sun-west.co.jp/onlinestore
行きは少量、帰りは大容量の変化を楽しむ

セカンドチョイスは、メタモルフォーゼが美しい MISSION WORKSHOP THE VANDAl(29L~65L)形状的には29Lよりも65Lの時が最高にイカしている(2ℓペットボトル6本は余裕で入るサイズ)ロールトップにもできるが、65Lの形状以外でしたことはない。海外版HPの動画を見たが最後、物欲の鬼神と化す。自分が使用しているイメージとハマるかどうかが、買うか買わないか の重要なファクト。しかし、一番の魅力である”変化を楽しむ”ことがなければ、このチョイスをする必要があるのかは疑問である。

人生初のバックパック。コンセプトは「家を持ち歩く」だった。

完全防水、大容量、ロールトップ。雨の日も自転車に乗り、趣味を山登りと錯覚させ、鞄の重さでほどよく筋力トレーニングがしたくて、何かと荷物の多いあなたにとって、この鞄は最良の選択になる。

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http://yuusake.blog112.fc2.com/blog-entry-70.html
いざとなったら、鞄ひとつで逃げ出そう

もう、公式HPには掲載がない(2017年11月現在)ARCTERYXのARAKIS 40 をファーストチョイス。雨が降ろうと台風だろうと、電車に乗りたくない私は自転車に乗るしかない。なので、完全に濡れない鞄が欲しかった(この当時(2012年頃)は”家を持ち歩く”がコンセプト)災害があっても鞄ひとつに全ての荷物をぶち込んで逃げる。なので、持ち物もこの鞄に収まるだけの容量になるように調整していた。が、この鞄ひとつ背負って逃げ出す状況など訪れるはずもなく、常に容量は3分の1以下(普段から全ての荷物を持ち歩く異常性も持ち合わせていなかった)そうなると、鞄の中で遊びができて荷物が動き回り、不愉快極まりない。防水性は認めよう。インパクトも認めよう。人と被らない希少性も認めよう。しかし、結局はスペックとスペースの無駄遣いだった。

自転車乗りの最大にして最強のカルチャーアイテム、鞄について

自転車乗りは「バックパック」か「メッセンジャー」かという永遠の命題と戦い続けなければならない。「どちらか」ではなく「どちらも」という答えに行きつきたくなければ、何を持ち歩くか?を重視せよ

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お札は3つ折り、カードはクレカと免許証のみ
中身が伴ってこそ のカバンというギミック

過去、数多のカバンを試して思うことは、全てハイスペックの無駄遣い、だということ。そして、その中でも一番長く使用したカバンは約2年。それ以外は全て1年未満だった。その理由は結局のところ、中身が伴っていなかったから。中身というのは”何を入れているか”ということ。はっきり言って、私は外出時、物を持たない。なので根本的にはカバンは不要(実際、ここ2ヶ月は仕事に行くにも、遊びに行くにもずっと手ぶらだった)私の持ち物は「財布」「i-phone」「家と自転車の鍵」のみ。仕事道具は持ち歩かずに、職場に全て置いているし、仕事は持って帰らない主義だ。それ以上の場合も、インプットのための「書籍1冊」と「ノート」と「ぺん」を持ち歩くぐらいだ。だからこそ持て余す。スペックも、スペースも。そんな私の鞄遍歴とは。